長く暗い路を温かな手に引かれ歩いていた。その肉厚で優しい手は懐かしく、どうしておまえが……と思ったとたん、これまでの記憶が身体の奥底から湧き上って、俺はようやく、自分が黄泉の路をたどっていることに気がついたのだった。

 終わったのだ。すべて。

 緊張して張りつめていた肩の力が抜け、自分の死をはっきり自覚した時、闇はすべて拭われて、俺とシスイの二人は、あの崖の真っ赤な果実を潰したような夕焼けの中にいた。

 ああ、俺は生前、幾度この時間を切なく思い出したことだろう。

 少年だったあの頃、夜になってしまえば、シスイと別れて家に帰らなければならなくなるから。そんな小さな理由で、永遠に続いてほしいと切実に願ったあの黄昏。緋い光に頬が染まるシスイの顔を、横目でちらりと伺い心に縫い付け、夜ごと思い出しては胸を締め付けられた。あの頃の俺は、言いたいことは山ほどあるくせに、いつもなにも言えず言葉を飲みこんでばかりだった。そんな後悔ばかりが募ったせいで、俺たちはこんなところへ迷い出てしまったのだろうか。

「――少し、やつれたな」

 己の死の直前のことを考えると、あれほど焦がれていた久々の出会いにも、すぐに心をほぐして感傷に浸ることなどできず、ぼんやりとしていると、どれくらい時間が経った頃か、シスイが相も変わらず美しいままの夕陽を眺めながら、独り言のようにぽつりと漏らしたのだった。

 そう言うシスイの姿はちっとも変わらなかった。少し低い優しい声の調子も、年よりずっと大人びた慕わしい雰囲気もあの頃のまま。けれどもそんなことになったのは誰のせいと思うと、口にするのはさすがに憚れて、俺はうやむやにはにかんだ。

 シスイは少し意外そうに目を見開いて、改めて俺と向き合うと、俺の全身を懐かしそうに目を細めて、しみじみと眺めた。俺の姿はあの頃からすっかり変わってしまっているから、きっと珍しいに違いないのだ。

病に疲れた青白い顔。嘘をつき続けた唇。衣を脱げば身体はぞっとするほど痩せ細って、もう人目に晒す勇気もない。そんな姿をシスイにまじまじと見定められることは、あの頃には戻れない自分を思い知らされるようで、少し、居心地が悪かった。

 そんな俺の心を見透かしてか、シスイはわざとらしくため息をついて、俺の苦情を誘うべく、茶目っ気たっぷりに笑った。相変わらず、冗談が好きで、人の表情に聡いのだ。

「すっかり変わってしまって。ちゃんと食ってるのか。背ばっかりひょろひょろ伸びて。まったく、俺の可愛い弟はどこに行ったんだ」

 俺は苦笑して、この醜い姿からシスイの視線を遮るように身をよじり、このまま冗談に紛れて受け流そうとしたけれど、そんな姿をいじらしく思ったのか、シスイはほとんど衝動的といってもいいほど、荒々しく両腕を伸ばして俺の肩を掴んで無理に身体を向き合わせた。

 シスイは唇を震わせて何か言いたそうだったけれども、結局何も言わず、俺の両肩に体重をかけたまま俯いた。

もしかしたら、彼は今、情けない泣き顔を隠しているのかもしれないと考え、そうしてふと、昔の俺なら、シスイが泣くなんて想像もつかなかっただろうと不思議に思った。

「本当に、おまえにばかり苦労をかけたな」

「シスイに謝られることじゃない」

 もう今では、シスイの方がサスケと変わらぬ年頃の少年なのだけれど、いくらそうしてあげたくても、かつて俺がされたように、愛しんで髪を撫でることは、どうしても越えてはならない境界な気がして、俺はだらしなく両腕を垂らしたまま、困った顔で笑った。

「シスイは、陰鬱な子供だった俺を、実の弟のように明るく接して可愛がってくれた。その肉親のような情が、かえってよそよそしく感じて、恨めしいと思ったこともあったけれども、俺はずっと、シスイが好きだった。シスイの夢は俺の夢でもあった。だからどうか謝らないで……俺は自分のやりたいことを、精一杯やっただけだから」

 俺は珍しく素直な気持ちで、本当に久しぶりに本心を明かしたつもりだったけれども、シスイは俺をじいっと凝視して、俺の背伸びを少しも見逃すまいとしているようだった。

「おまえはずっとずっと俺の弟だよ。俺がなによりも、一番大切にしていた」

「……」

 シスイは低くささやいて、あの頃のしぐさで、何気ないふうに頬を撫ででくれた。それがなにより嬉しくて、俺は黙ったまま、にっこりと微笑んだ。

 死んだ人が変わらないことの、なんて素敵なことだろう。シスイは俺の、一番美しい思い出の中の人なのだ。その夢が決して破られない不可侵の領域にあることを改めて思い知った気がして、俺はこの時、あさましくもどんなに嬉しかったことだろう。

 そうしてあの頃とは違い、シスイの言葉を真っ直ぐ受け止められる自分がいることに気がついて、ああ、生きていてよかったと思ったのだ。

 生きていれば、人はどんどん変わってしまう。生きてさえいれば、どんな人も変わることができるのだ。

「シスイ、俺は正しく生きられたのだろうか」

「それを決めるのは俺じゃない。おまえが決めることさ」

 シスイの穏やかな笑みを、昔の俺なら、突き放されていると恨んだかもしれない。それがどうして……こんなにも違うのだ。なにひとつ変わらず向き合っているつもりでも、年月は確実に過ぎ去っていて、通り過ぎる風の匂いは懐かしく同じでも、シスイの所作の一つ一つが、あの頃とまるで意味が違うように思える。

 俺はそれを、淋しいとも哀しいとも思わなかった。ただ、あの頃もどかしいほど絡んでいたように思えた糸が、ほどけていくのを感じていた。

 

 

 美しい夕焼けの中で、もう何も気にする必要はなく、長い間二人で語らいだ。

「おまえの姿を見た時、正直、俺は少し後悔したんだ。俺のやってきたことは、過ちだけだったのかもしれない、と。おまえに一生消えぬ傷を負わせ、里の未来という重圧をその細い肩に任せてしまった」

「俺の人生は、俺の立ち回りが下手だったばかりに、思うようにならなかったことの連続で、確かに悔いも多い。誰かを守るために嘘をつき続けているうちに、自分の気持ちもわからなくなって、本当に守りたい大切な人すら傷つけ、たくさんの誤解を生んでしまった。生きていることを迷う辛い日だってあった。それでも俺は、選べるなら何度だって、うちはイタチとして生きたいと思えるよ。次は上手くやれるとか、そんなことではなくて……俺は、俺の人生を確かに愛していたんだ」